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孤島の奇譚

思いつきで始めるブログ。漫画や音楽、アニメ、小説などの感想や、突飛な思いつきなどを書く。プログラミングが趣味だから、そういう話もしたいところ。一度失敗したのに懲りないのはいつものことだ。移動しました→http://isolated-hyakunin-isshu.blogspot.jp/

「主語が大きい」という奇妙な表現

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「主語が大きい」という奇妙な表現

この記事は元来は別のサイトで投稿していたものです。

 ネットの一部の界隈では「主語が大きい」という表現が使われることがある。おそらくはネットスラングである。議論好きの集まる界隈や、政治関係の話題をする人々の集まりでよく見かけるし、ライトノベル関係の界隈でも見たことがある。漫画「さよなら絶望先生」で似たような表現を見たことがあるが、このスラングはその漫画が元になっているのかは私は知らない。

 「主語が大きい」という言葉は否定的な意味合いで使われる。私の知る限りでは、この言葉は「主語」の指し示す範囲が余りにも広すぎるという意味で使用されるようだ。例えば、「最近のライトノベルはRPGのパロディばかりで詰まらない」と誰かが言えば、ライトノベル好きが反例となる作品を挙げつつ「主語が大きい」と言って批判する。「女性は家にいるべきだ」と誰かが主張すれば、女性の意思や家庭それぞれの事情を無視しているという意味で「主語が大きい」と言ってその主張は間違っていると批判する。「主語が大きい」主張とは、「主語」の指し示す範囲の実情や傾向が主張と合っていないという観点で批判されてしまう主張ということである。

 ただ、「主語が大きい」という言葉の使われ方や意味には奇妙なところがいくつかある。

 例えば、世の中で道徳と呼ばれるものは大抵「主語が大きい」。親が子供に「嘘をついてはいけない」という道徳を教えようとして、子供が「主語が大きい」などと反論するということを考えてみよう。確かに、「嘘をついてはいけない」という道徳はいつ何時も肯定されるというわけではない。「嘘も方便」とは言ったもので、お世辞の一つも言えないというのは人間関係を破壊しかねない。また、殺人鬼に追われている人間を家に匿った後に、殺人鬼が自宅に尋ねてきたとして、殺人鬼が誰かいないかと聞いてきたときに、馬鹿正直に質問に答えればどのような結末になるかは想像がつく (この場合では嘘をついても自分が殺されかねない気もするが、これは例え話だから勘弁してほしい) 。とはいえ、あらゆる嘘が肯定されるかと言えばそうではなく、例外を除けば大抵は嘘は良くないことだとされる。どうして嘘をついてはいけないかという話をこれ以上掘り下げるつもりはない。ここで何が言いたいかと言えば、全ての「主語が大きい」主張が「主語が大きい」と批判されるわけではないということである。前述の例で言えば、ライトノベルを非難する主張に対してライトノベルを弁護するという目的や、女性の自由や人権などを守るといった意図で「主語が大きい」と言っていたわけである。「主語が大きい」という言葉が使われる対象はあくまで恣意的に選ばれるのだ。

 そもそも「主語が大きい」主張がどうして悪いのかと言えば、実態を捉えられていないと思われることが多いからだろう。「主語が大きい」主張は「主語」の指し示す範囲が広い。「最近のライトノベル」で言えばここ数年のうちに複数の出版社で出された多数のライトノベルを指し、「女性」で言えば人口のおよそ半分である。「主語」の中には主張とは実情がそぐわない例も多いだろう。「主語が大きい」主張は反例が多く、反論を受けやすい。反例が多いからと言って主張が誤っているとは限らない。実際の傾向と主張が一致していれば正しいと見なされる場合もあろう。もちろん、「主語が大きい」主張の中には実際の傾向とも一致していないものも当然ながら存在する。

 ここで問題なのは、「主語が大きい」という言葉自体が「主語が大きい」ということである。「主語が大きい」という言葉がどうして批判になるかと言えば、「主語が大きい主張は誤っている (または誤っていると思われる) ことが多い傾向にある」ためである。「主語が大きい」主張も世の中には数多くあり、それが全て誤っているというわけでもないだろう。例えば、「嘘をついてはいけない」という道徳のように「主語が大きく」ても批判されない主張もある。極力多くの人に効果的な政策をとる場合は、「主語が大きい」ともとれる主張をもとに政策を考え出すことになるだろう。多少の反例を無視してでも大多数に効果のある政策をとるためだ (ただし、意図的に少数派に対して効果のある政策をとる場合もあるだろう) 。「主語が大きい」ことを諌める言葉が「主語が大きい」というのもなかなか奇妙なものだ。

 そもそも「主語が大きい」という言葉を字面通りに見れば、「主語」についての主張をすること自体を批判していることになる。まるで、「主語」は神聖なものだから話題にすることすら咎めるべきとでも言っているかのようだ。私自身は世の中には話題にするのが憚られる対象があっても仕方がないと考えているが、表現を規制することを嫌う方は「主語が大きい」という言い回しを避けた方がいいのではなかろうか。

 前述の通り、「主語が大きい」という表現自体が自らを批判するという奇妙な状態になっている。私としては「主語が大きい」という言葉で物事を片付けず、「主語が大きい」主張の何が悪いのかを説明して反論した方が、相手の主張を効果的に論述する良い批判になっていると思う。「主語が大きい」主張が全体の傾向や大多数の実情にそぐわないという場合もあるだろう。傾向や実態を見事に捉えている主張だとしても、「主語」が大きいだけに反例が多い分、反感が集まりやすいという意味で「正しくない」という場合もあるだろう。主張自体がある価値観のもとでは「間違っている」ために「主語が大きい」という言葉で批判してしまうという例もある (特に個人主義を守るべきと考える人が、人は自分の属する共同体で共有される価値観に合わせるべきだというような主張に反論するために「主語が大きい」と言ってしまう場合がある) 。便利な言葉でばっさりと切り捨てたつもりだったが、実際は相手の主張の問題点をうやむやにしてしまっただけだったということにもなりかねない。より適切な言葉を選んで、適切な批判をした方が、多くの賛同を得られやすいのではないかと私は思わずにはいられない。



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