思いつきで始めるブログ。漫画や音楽、アニメ、小説などの感想や、突飛な思いつきなどを書く。プログラミングが趣味だから、そういう話もしたいところ。一度失敗したのに懲りないのはいつものことだ。
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無意味に論説を振りかざすのが大好きなので漫画の紹介をしてみる。ネタバレは極力回避するが、起承転結の承辺りまでは書く可能性がある。今回紹介する漫画は「うしおととら」が最近アニメになった藤田和日郎氏の作品である。ネタバレを白文字で隠しているため、そこにも注意してほしい。
梟の姿をした怪物とそれを追う四人の人間ドラマ
物語は「むかし むかし」という言葉から始まる。
むかし、むかし、あるところに恐ろしい鳥が住んでいた。怪物はフクロウの姿をしていて、その怪鳥に見られた生き物は死んでしまう。討伐しようとした猟師たちは皆死んでいったが、唯一、鵜平という猟師が元妻を犠牲にして撃ち落とすことに成功する。しかし、怪物にとどめをさす前に米軍に怪物を奪取されてしまう。怪物はアメリカにより<ミネルヴァ>と名付けられた。
それから時が経ち、あるとき、アメリカの空母が岸に突っ込むという事故が発生する。事故を起こした空母を調査に来た者たちが見たのは死体の山と空の鳥籠であった。その後、東京に現れた邪眼により、東京は死の街と化した。テレビ映像越しにすら力を及ぼす邪眼の魔力により、東京の都市機能は停止した。この状況を打開するため、CIAのエージェント・ケビンと陸軍特殊部隊のマイクは、怪物を一度倒したかの猟師・鵜平に会いに山村に訪れる。二人の前に現れたのは鵜平の娘であり、祈祷師の輪だった。鵜平は輪を通してでないと二人と話をしないという。一方で、輪と鵜平には血の繋がりがなく、輪は母を犠牲にした鵜平を父とは見なしていなかった。輪に怒鳴られると鵜平はあっさり頼みに応じ、<ミネルヴァ>討伐に立ち上がる。かくして邪眼を倒すために東京に向かった四人だが……。
藤田和日郎氏と言えば、強烈な妖怪の描写と優れた人間ドラマで有名な少年漫画「うしおととら」の作者である。この作品もまた強烈な邪眼の描写と人間ドラマに秀でている。
単行本のページをめくると、最初に目に入るのは邪眼の恐ろしさを示す描写である。猟師たちが絶望の中で血を吹き出して死亡するシーンに始まり、最終的には平和で騒がしい東京が沈黙と死の恐怖に包まれた街に変貌する。その後は四人の主人公の登場と続く。<ミネルヴァ>の当て馬に殺されるとしか思えない嫌な性格の銃の名手たちの登場が間に挟まり (案の定死亡する) 、その後に四人の活躍劇が始まる。「うしおととら」では妖怪による凄惨な殺戮や、惨たらしい人々の死に様が描かれていたが、この作品でのそのての描写も同様に印象的なものとなっている。
主人公の四人は日米両軍と協力して邪眼に立ち向かう。鵜平は昔気質の猟師であり、目元と心中の恥を隠す仮面と寡黙な性格のために輪との間ですれ違いが生じてしまっている。マイクはこれまた軍人気質の人物で、鵜平と怒鳴り合いながらも、鵜平の無茶な行動を助力する。ケビンはある秘密の使命を抱え、暗澹たる過去を背中に<ミネルヴァ>討伐に参加する。輪は超自然の能力を使って戦いながら、父親との間の不和を乗り越えていく。この作品では四人がそれぞれの背景を持ちつつも互いに歩み寄り、互いへの理解を深めていく過程が描かれている。
この作品のもう一つの特徴は、<ミネルヴァ>が単なる無慈悲で冷血の怪物として描かれていないところである。邪眼にはある弱点があり、作中ではそれを主人公四人が利用するのだが、それは恐るべき怪物にしては意外なものである。怪物の最期の後、輪は邪眼の末期の思考を教えてくれる。個人的には怪物をめでたく倒してチャンチャンでも良い気がするのだが、<ミネルヴァ>を単なる悪魔で終わらせないという意味では、作品に深みを与える要素であろう。
この「むかし むかし」の物語はある大団円を迎える。どのような結末を迎えるか、是非とも多くの方に読んでいただきたいものだ。